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河上徹太郎の世界ーその3 [教養]

昨日5日(土用日)は山口ひとものがたりセミナで「河上徹太郎と幕末の志士たち」で講師は岩国微古館長 松岡智訓 です。
伊勢には神宮徴古館が在るのはよく知ってますが、岩国に徴古館が在ることは知らなかった。講師の先生も知名度の低さを気にして宣伝をしてました。折角なのでその岩国に徴古館とは、1945年 (昭和20年) に完成した石造り風の重厚な建物です。正面玄関に並ぶ角柱や、錦帯橋をモチーフにしたと思われる内装デザインなどに際立つ特徴があります。戦時中の建築で、構造体はレンガ造りですが、資材にも制約がある中、不足する鉄に替えて竹を用いた「竹筋コンクリート」が使われたとも言われています。その時代を感じさせない設計はすばらしく、1998年 (平成10年) 1月には岩国市の登録有形文化財となっています。
だって岩国錦帯橋、岩国城を見学した時には是非立ち寄って頂くと「幸せます!」(山口弁)。
さて本題の講義内容は、幕末の志士たちで「赤禰武人(あかねたけと)」が主題であります。
赤禰武人(あかねたけと)とは、
天保9年1月13日(1838年2月7日) − 慶応2年1月25日(1866年3月11日))は幕末の長州藩士。奇兵隊の総管を務めた。別名、文平・幹之丞・貞一・柴屋和平。
である。例によって、山口県人の大好きな長州藩士であるから、此処はチトマイナー感じの人物ではあるが奇兵隊の総管であるから知っておかなければならない。
興味有るひとは、ネット検索をされると、幸せます。で河上徹太郎との係わりは、河上徹太郎が赤禰武人をどのように評価していたかを河上徹太郎の対話で紐解くものでした。
恥ずかしながら赤禰武人を知ったのは、この講座のおかけです。不勉強で猛省の連続です。
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