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老人の嘆き [人生]

飲み仲間に80才の長老がいる。
この前の会合で「どうして若い連中は年寄りの世話をしなくなったのか?」と言う疑問が投げかけられた。
世話をしてもらうことを当然と思ってはいけません。親子であってもそれぞれの生き方というものが存在して、互いが理解し合うこと。自らの老いを認めて「老いては子にしたがえ」です。人は、「年老いて丸くなる」と言うが聖人でない限りそんな人は存在しません。かえってわがまま、気ままになるのが常で、死に至るまで持って生まれた性格で終えるのである。ケチな人はケチ、憎まれる人はいつ経ってもにくまれ、根性の悪い人はそのままで「早く亡くなれ」とまで憎まれるのです。一方、気前のいい人はいい、朗らかな人はいつもニコニコし、亡くなって「惜しい人を亡くした」と惜しまれ親しまれる。だから「世話をするのが当然だ」と高飛車にでては相手にしてもらえないし、寂しい人生まま終える。
井上馨(長州藩士)は、教育勅語のなかで、「・:・・国民は、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は仲むつまじく、友達とは互いに信じあい、行動は慎み深く、他人に博愛の手を差し伸べ、学問を修め、仕事を習い、それによって知能をさらに開き起こし、徳と才能を磨き上げ、進んで公共の利益や世間の務めに尽力し、いつも憲法を重んじ、法律に従いなさい。・・・」と教えたが、軍国主義の教えとして戦後この教えをなくしてしまった。
この事実をどう捉えるかが、人の生き様であると考える。

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